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大阪市営地下鉄が『崇高な理想と使命感』に燃えていた頃  これでいのか大阪市政 「誰のための地下鉄建設」 第3シリーズ 第2回  

これでいのか大阪市政 「誰のための地下鉄建設」 第3シリーズ、利益誘導と癒着の構図 第2回

大阪市営地下鉄が『崇高な理想と使命感』に燃えていた頃

東京地下鉄(株)に遅れること6年後の1933年、日本最初の公営地下鉄として産声を上げた大阪地下鉄。それは建設計画の段階で、マスコミをも巻き込んだ市議会の猛烈な反対運動!にぶつかり難航していた。


当時の関一市長は大阪市の命運と自らの政治生命をかけ、市議共を敵に回しながらも英断で御堂筋と供に着工にこぎ着けた。


当然のことながら、開通当初の市民の反応は冷たかった。


シャンデリアや大理石をあしらい、意匠を凝らした豪華な駅を持つ短い路線に、物珍しさに惹かれて見物に訪れたお上りさん達を乗せた、たった一両の車両が遊園地のお猿の電車ヨロシク行ったり来たりしていた。


それでも壮明期の大阪地下鉄に携わった人たちは崇高な理想と使命感に燃えていた。


戦争たけなわの1942年には乏しい資材のなかにもかかわらず、何とか天王寺まで開通させた。そして終戦の年.1945年、激しい空襲にも耐え生き残った地下鉄は天王寺と大阪駅を結ぶ重要な幹線として戦後の復興期に庶民の足として大阪復興を力強く支えた。


その後も、乏しい資材の中、大阪の戦後復興を象徴する事業として地下鉄建設はすすみ、1950年、我孫子通りと供に我孫子まで開通した。1964年、東京オリンピック開催に合わせ、突貫工事で建設された東海道新幹線の開業に合わせ、御堂筋線は新大阪まで延長。


中央大通りの整備に合わせる形で、地下鉄の前身大阪市電が最初に走った記念すべき本町ー大阪港(天保山)間が完成。御堂筋線混雑緩和の大義の下四つ橋筋線 大国町ー西梅田間も相次いで完成した。


<つづく>
[2007/10/19 21:39] 大阪のこと | TB(0) | CM(0)

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