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ホリエモン礼賛にヒトラー礼賛の陰を見る。 

 <”欲望と自制心”人類宿命の葛藤から逃げては成らない!>

人類が、思考を持って以来、”欲望と自制心”の狭間で葛藤し続けてきた。言い換えれば、動物としての”生存本能と理性”の葛藤である。
これに負けたのが”ホリエモン”であり、柏原市の山西前市長である。
世界的、歴史的には、カリギュラ、ヒトラー、スターリン、ポルポト、日本では、秀吉、そして戦前の軍事内閣。

人間には、”超えては成らない一線”という物がある。
つまり、それは”無駄な殺生をしてはならない”という考えである。
文明発祥以来、原始宗教、自然崇拝、色んな形で、シャーマンらによって語り継がれてきた山の神への感謝、海神への感謝。
いずれも生きてゆくために”日々の糧”を与えてくれた”神=自然=あらゆる生物”への感謝の気持ちである。

だから、思想的なベジタリアンは偽善者であると小生は思っている。
健康教?の信奉者のベジタリアンは可愛い存在であるが、一部の動物愛護活動家などが、唱えている菜食主義は許容できない。
それは、人類の宿命を否定もしくは、目を背けているからである。
偽善者ブルより、無駄な殺生をしないで、自然への感謝を忘れず、飽食に走らず、慎ましやかな生活を送る。その方が人間らしい生き方だと思う。

話はそれたが、前出の人たちは、総じて、”その時はそれしか道がなかった”と主張する。そうなのか? 時を経ると、冷静に過去を振り返ることが出来るとよく言われるが、歴史的観点だけでは、人間的に間違った判断をしてしまう。
”超えては成らない一線”が観点でなければならない。

一部の歴史家は、太平洋戦争を引き起こした、軍部と一部の財界人に同情するような意見を述べたりする。しかし、”病むにやまれぬ事情”ソンナ物は”欲望に負けた自制心”に対する言い訳でしかない。いくら価値観が多様化しようが決して、許されるべきではない。
当時の民衆が自尊心を捨て葛藤から逃げた結果、その時”欲望に負けた”米国から、悪魔の劫火、原爆を投下され太平洋戦争は幕を閉じた。
戦前の”政府の決断”を認めることは、米国の原爆投下を正当化する事に他ならない。

そして、未だ世界中で絶えることのない、人種間の闘争、宗教間の戦争、テロ、虐殺、,,,殺戮を正当化してしまう結果となり、人類の滅亡へとつながる,,,,。
今、戦犯だけに一切の責任を押しつけ、過去の過ちに目を背け、未来だけを睨み進むことなどしては成らない。被害者としての戦争の悲惨さばかりを協調するのではなく、戦争を容認した当事者としての民衆の子孫として、国民一人一人が、もう二度と戦争を引き起こしたり、巻き込まれたりしない、と言う確固たる決意を持つ必要がある。

”粉飾決算”は戦争ではないが、”超えては成らない一線”である事には違いない。
殺戮が伴わないと人の罪悪感は少なくなるらしいが、そうあってはイケナイ。カリスマを個人批判するだけでなく、葛藤に目を背けて、悪魔の甘い言葉に耳を貸し、本能の赴くままに、時に流されていった、支援者一人一人が懺悔すべきである。

そして、今こそ、我々民衆一人一人が”欲望と自制心”の”葛藤と向き合って生きていく姿勢”、が必要な時期に来たと思う。。
[2006/03/10 12:09] 雑感もろもろ | TB(0) | CM(0)

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