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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第56話  

第56話 阪神大震災と鉄路

1994年(平成6年)伊勢志摩総合開発プランの目玉パルケエスパーニャ、ホテル志摩スペイン村がオープンした。
この年円高が進み再び海外旅行ブームになり、バブル崩壊後一時低迷した渡航者が回復した。
そして9月4日関西国際空港が開港した。



1995年(平成7年)1月17日早朝、阪神地区を激震が襲った、阪神淡路大震災である。長女由有紀夫婦が住む、神戸が心配だったが、由有紀夫婦が済む、六甲アイランドの高層住宅は大きく揺れたが、幸い倒れた家具の下敷きにも成らず、家族3人とも無事だった。
ただ、電話の不通状態が続き、安否が判るまで丸一日かかった。


この地震による被害は甚大で阪神電車も高架橋の橋桁が折れるなど、ズタズタにされてしまい、その後約半年間不通状態になってしまった。


早速近鉄から徹路の会社に連絡が入り、現在発注している工事が多少手薄になっても良いから被災した阪神電鉄の復旧工事に協力するよう申し入れがあった。


徹路は、翌日から金三に20名ぐらいの精鋭を集めさせ、被害調査と復旧工事の為に阪神電鉄の災害復旧本部に駆けつけた。
26年前に完成し一番被害の大きかった、石屋川車庫の有る工区の復旧工事を任された。


徹路が総指揮を執り全国から駆けつけた、土木工事のベテラン達と共に5ヶ月の短期間で完全復旧させ、阪神電鉄から、感謝状を貰った。


5月金三が土木技術者を志すきっかけとなった、本四連絡橋の一つ大三島橋が開通し、しまなみ海道が開通した。


1997年(平成9年)4月第2阪奈道路が開通した、生駒山をくりぬく第3のトンネルである、今まで阪奈間は近鉄が最短で結んでいたが、阪神高速、第2阪奈道路による自動車利用に到達時間でも敗れてしまった。


<続く>
[2008/03/16 14:31] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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