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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第45話  

第45話 金三、天職を見つける


同年同月の1978年5月成田国際空港が開港した。
日本は益々国際化の波に飲み込まれて行く事になる。


初めは、金三に留守番兼、行程監理要因として、翌日の資材や機材の準備や手配に事務所で待機させていた。


そして、自動車免許を取りたいと言うので、自動車教習所に通わせたりしていた。
自動車免許がとれてからは、現場に引っ張り出し、雑用をさせることにした。


『親方、あんなへたっぴんに運転させて大丈夫ですか?』
『まあ良いじゃないか、最初は誰でもあんなものさ』
『親方がそう言うのなら、良いですけど、帰りの運転はあっしがやりますからね!』
『まかせたよ』

8月ごろには徐々に、現場にも慣れだし、要領もつかめてきたようだった。
だんだん、土工達ともうち解けるようになり、冗談も交わせるように成ってきた。


『親方、あの広島弁の兄ちゃんは?』
『オイオイ、親方はいい加減よしてくれよ』
『ほな、ドナイ呼んだらエエンデッカ?』
『オヤジさんとか、テツジさんとか』
『チャウナ、ヤッパリ親方がエエナ』
『まあ良いけど、それで』
『ランマーが調子わるーて、リースやに替えさせて貰おうとおもて』
『いいよ、ワシがみるよ』
『ホナ、ここに置いときまっせ』
『判った』


毎日6人乗りのピックアップを運転して、現場に向かう金三の姿は生き生きとしているようだった。


翌1979年(昭和54年)3月東大阪生駒電鉄(現在のけいはんな線)、が着工された。
”鉄路”は近鉄の口利きで、指名業者となり、2次業者として、ゼネコンの下で付帯工事を請け負うこととなった。

この頃には、金三もすっかり仕事に慣れ、みんなともうち解け合い。


『センム』
『僕は、専務なんかじゃ有りません』
『まあエエがナ、アンタは何もセンムや、』
『ハ、ハ、ハ、…』等とからかわれながらも、みんなに好かれ頼られる存在になっていた。
徹路のように、小器用で何でも、職人並みにこなせる様な人間ではなかったが、熱心で、実直な態度は好感を持って受け入れられていた。


<続く>
[2008/02/10 23:23] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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