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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第42話  

第42話 定年と次女未來の結婚


この年の10月実質的な仕事の引き継ぎを終え、残り3ヶ月間は、徹路の好きにして良いことになった。徹路は取引先への挨拶回りと、現在建設中の現場等思い出深い現場を見て回ることを許された。


そして12月この年3月拡張工事が完成した、難波駅構内を駅長の案内で見て回った。
そして、引き揚げ線の終端に来たとき、車止めのその先の壁にソット手を当ててみた。
徹路には、この壁の向こう側で、地下トンネルを掘削している様な錯覚に囚われた。


”俺が在職中には、かなわなかったが、きっと、その内この壁が取り払われて、阪神電車がやってくる、きっと…”。


そして、1月10日退職の日を迎えた。本社に残っている、技術統括部の職員全員が、玄関ロビーを埋め尽くし、花束を持った徹路を送り出してくれた。


最後に、社長が徹路の手を両手でがっしりと握ってくれて、


『布施君、長い間本当にご苦労さん、有り難う』と言って送り出してくれた。
この年の成人の日、次女未來が1人の青年を家に連れてきた。


石部金三という風采の上がらない青年だった。

聞けば、彼は近鉄の土木部に勤めているという、
未來とは同い年で入社6年目になると言う。徹路には全く記憶がなかった。


尤も企画統括部長になって以来、古巣の土木部には足げく出入りしていたとは言え、統括部全体では数百人規模の職員数である、主立った人間以外は一人一人の顔などハッキリ覚えていないのも仕方ないところ。


そう言えば、未來が家で家事手伝いをするように成った頃から、手作りの弁当を届けるようになり、運転免許を取ってからは夜遅くなると、出迎えを予て、車を飛ばして、土木部に差し入れに来ていたことが度々有った。


あるとき、徹路が見あたらず、土木部の部屋に探しに行ったところ製図台に向かっている石部が1人で残っていたらしい、前々から、差し入れに来たときに、話にも加わらずいつも部屋の片隅の製図台に向かって黙々と仕事を続けている石部が気にかかっていたそうで、徹路の居所探しを口実に話をする様に成ったそうだ。


話して判ったのは、彼の方言は酷い訛りで、それを気にして皆の話には加わらないでいたそうだ。


生まれは愛媛県の大三島で実家はミカン農家をやっている事。
島だから鉄道など無く、おまけに本土にも四国にも連絡船で通うしか無かった事。
本州との間に橋を架けたくて、土木をこころざし広島大学の工学部に2浪して入学した事。
広島に下宿しだしてからは、下宿近くで行われていた山陽新幹線の建設工事に興味を持って将来は鉄道建設にたづさわりたいと決めた事。


土木学会誌などによく寄稿している布施徹路と言う名物部長がいる近鉄を知、徹路に憧れて入社試験を受けて入社してきた事。


等を聞き、何となく、その実直さが、徹路とダブり、つき合うように成ったのだという。


徹路から見れば、ハッキリ言って、自分の記憶にとまらなかったというのは、”見かけ通り風采の上がらない奴”では有るようだが、未來が気に入ったのならそれで良いと思い、許しを出した。


その後、結納を交わし、所定の手順を積んで、高木土木部長の介添えで、6月に近鉄グループの奈良ホテルで結婚式を挙げた。


未來は一人暮らしになる父を気遣い、学園前の賃貸マンションに新居を選んだ。


この間、徹路は3月1日付けで有限会社鉄路を旗揚げしていた。
全国各地にいる先輩や後輩から、私のの会社に、是非私の大学にとひっきりなしに誘いが舞い込むのに平行して、会社を設立、案内状を配っていたのだ。


<続く>
[2008/02/04 21:22] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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