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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第32話  

第32話 モータリゼーションの到来


年も変わって翌1968年(昭和43年)2月奈良駅周辺地下化とターミナルビル建設工事が始まった。


同年4月次女未來が、帝塚山女子短期大学家政科に入学した。
未來は生来ののんき物で姉由有紀と違い余り勉強も好きでは無かった。祖母寿美の助言を素直に聞き入れ、そのままエスカレーター式に帝塚山短大に進学したのだ。
この時も、徹路は休暇を取り、入学式に参列した。
今度は、姉由有紀、祖母寿美、そして徹路、家族4人そろっての入学式であった。
帰りに、奈良まで出かけ、春日山の近くの料亭で家族4人そろって久々に会食をした。


同月7日神戸高速鉄道が開通した。


神戸市、阪神、阪急、山陽、神戸電鉄各社が共同出資で設立開業した同線は、高速神戸で山陽、阪神、阪急が新開地で神戸電鉄と接続している鉄道である。
この鉄道の開業によって、関西における戦後初の大手私鉄同しの相互乗り入れ直通運転が実現した。


これ以後、本題の、阪神ナンバ線開業まで、関西では私鉄間の相互乗り入れによる直通運転は実現されていない。


徹路は鉄朗から招待状を受け取り、祝賀会に出席した。


『西宮さん、おめでとう御座います』
『有り難う御座います、お忙しいところご足労いただいて申し訳ありません』
『いやいや、本当におめでとう御座います。』
『有り難う御座います。』
『これで、うちと繋がれば、金の鯱と白鷺が我々私鉄の鉄路で繋がる事に成りますね。』
『ハイ、次は東に進みますよ』
『お待ちいたしております。』
『ハイ、待ってて下さい。』
『ワハハハ…』
『ワハハハ…』


同月役員会で、奈良線、京都線、橿原線、天理線、それに吸収合併した、生駒線、田原本線を600vから1500vに昇圧することが決定された。


そして同月15日阪神本線西灘ー石屋川間の高架新線が開通し、18日には、同時進行で工事が進められていた、石屋川車庫が本格運用に入った。阪神電車にとって、戦後初の大工事と言ってもよい事業であり、全線高架事業の先鞭と成った。


そして翌5月鳥羽線建設が着工された。


同月上本町ターミナルビル南館建設を着工。
そして同じく同月米国のサンフランシスコ日本文化センターに系列の都ホテルが開業した。
またしても国分は語学の才を売り込みホテルの営業スタッフとして潜り込むことに成功していた。


同年9月、待ちに待った難波線トンネル本体工事が上本町駅西側からナンバに向かってスタートした。日本初の複線シールド工法による掘削である。同じ頃すぐ隣の地下鉄千日前線のシールド工法で掘削が始まったが、こちらは、実績のある単線シールドトンネルを2本掘る工法だった。


年も迫った12月20日戦前から永らく乗り入れてきた、京阪電鉄本線への相互乗り入れを廃止した。翌年に迫った、1500V昇圧への準備のためである。


翌1969年(昭和44年)3月21日西名阪自動車道が松原ー天理間で全通し先に開通していた名阪国道と繋がった。


そして、同月31日、前年の西灘ー石屋川間開通に続く全線高架事業と肩を並べる、大事業、新淀川橋梁のかけ替え工事と野田ー淀川駅間の立体交差事業が完成した。
これで、台風や、豪雨による淀川の増水の度に、本線が一時運休となる事もなくなった。
同年5月26日東名高速道路が全通し、本格的ハイウェー時代の到来となった。
これによって、東京、西宮間が高速道路で繋がり、以後陸上輸送の主役は、鉄道からトラック輸送に変わって行く事になる。


<続く>
[2008/01/21 22:13] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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