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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第28話  

第28話 名阪ノンストップ特急の登場

この年は、忌まわしい年でもあった、あのベトナム戦争が始まった年でもあったからである。


前年より工事を行っていた、中川短絡線が3月29日に開通、名阪ノンストップ特急が運転を開始した。
そして8月8日津ー津新町間複線化工事完成これによって。
9月ダイヤ改正でノンストップ特急は名阪間を2時間18分で結べるようになり、2時間14分で結ぶ’ビジネス特急こだま”とやっと互角に戦えるようになった。


この年の12月8日阪神電車野田駅周辺高架事業が完成した。


1905年(明治38年)4月三宮ー出入橋間で軌道線として営業を始めて以来、併用軌道区間の名残でカーブが多く戦前1929年(昭和4年)から1939年(昭和14年)にかけ、御影駅周辺、神戸ー岩屋、出入橋ー梅田間と高架化や地下化は行われたが平面交差区間が大部分を占める阪神本線にとって、輸送力増強には全線の高架立体交差化事業は宿願でもあり、野田駅高架化は戦後の本線高架化事業の始まりでもあった。


翌1962年(昭和37年)4月次女未來が中学校に入学した。この時も徹路が休暇を取り、母寿美と3人で入学式を迎えた。


同年9月、奈良線輸送力増強計画の要、新生駒トンネルが着工された。


そしてこの年10月3日(水)藤本監督率いる阪神タイガースが、セ・パ両リーグ分裂後初、通算5度目のリーグ優勝を勝ち取った。
徹路は鉄朗に電話を入れた。


『鉄朗さん、優勝おめでとう』
『有り難う、徹路さん…』
『何をいったら判らないけど、ほんとにおめでとう』
『いや…電話くれて有り難う』
『再来年には、西九条迄伸びてくるし、僕も頑張らないと』
『いやー…、そこから先のめどが立ってないんですよ』
『めでたい日に、コンナ話をして…、お仕事頑張ってください鉄朗さん』
『有り難う徹路さん、それじゃまた合いましょう失礼します。』


翌1963年(昭和38年)4月鈴鹿市ー平田町間の新線が完成、鈴鹿線と改称された。


同月、長女由有紀が、名門奈良県立奈良高等学校に進学した。
責任感が強く、妹思いの由有紀は、母梨花の死を乗り越え、年老いた祖母寿美を支え、留守がちな徹路に変わって、立派に家庭を守っていた。


同年7月名神高速道路が部分開通し、ハイウェー時代の幕が開かれた。


同年9月のダイヤ改正で、遂に近鉄が国鉄に勝った。
たった1分の差ではあるが、名阪ノンストップ特急が2時間13分で両都市を結んだのである。


そして10月京阪電鉄との共同出資会社であった、奈良電気鉄道今の京都線を吸収合併した。


翌年1964年(昭和39年)は国内航空路にとってもエポックメーキングな年であった、新年早々、JALが国内線にボーイング727を登場させたのである、東京ー大阪間は1時間になり、国内線のジェット時代が本格的に幕を開けたのである。
そして4月には海外渡航が自由化された、まだ1ドルは360円の固定相場制、外資持ち出し年間5万円の時代ではあったが、一般人が海外に自由にいけるようになったのである。
翌1964年(昭和39年)3月名古屋線最後の単線区間江戸橋ー津間の複線工事が完成した。


同月、後に近鉄湯の山線となる、三重電気鉄道湯の山線の改軌昇圧工事が完成、名古屋線の車両がそのまま入線できるようになった。同じ月に大阪環状線の全線が完成、環状運転が開始された。


これを追うように5月21日阪神伝法線、千鳥橋ー西九条間が完成、難波に向かって、先ず一歩を歩み出した。


徹路は生駒トンネルの建設工事も佳境に差し掛かっており、忙しい最中ではあったが、鉄朗から招待状が届き、祝賀会に招かれ出席した。41才になっていた鉄朗は、鉄道事業本部長になっていた。


『西宮さんおめでとう御座います』
『有り難う御座います布施さん』
『先を越されましたな、』
『先を越されたなんて、まだ一歩を踏み出しただけですよ』
『イヤ.でもほんとに良かった、鉄朗さん、若い頃、僕たちが夢見た連絡鉄道が実現に向けて一歩を踏み出して』
『有り難う御座います、これからが大変だと思っています、ここから先用地も確保出来ていないし』
『さあ、私も頑張らなくては』
『そうですね、来年着工すると言うお話でしたね。』
『そうです、何とか70年の万博に間に合わせようと、今準備しているところです』
『70年に開通ですか、イヤ羨ましい、うちは用地の手当もこれからだし』
『イヤ長話をしてしまって、生駒の現場が気になるのでこれで失礼します。』
『ほんとに、お忙しいところご足労いただいて有り難う御座いました』
『それでは、何時かまた、失礼します。』
『失礼します』


そしてこの年7月待望の新生駒トンネルが完成7月30日生駒駅迄20m級の大型通勤電車が
到達出来るようになった。


この年の9月30日名将藤本監督率いる阪神タイガースが戦後3度目通算6度目のリーグ優勝を果たした。


翌日10月1日新向谷トンネルが完成し、上本町ー奈良間に大型車両が投入された。
同日東海道新幹線が開業した、そして、名古屋ー新大阪間を1時間21分で結んでしまった。
もう、スピードで国鉄に太刀打ち出来なくなった近鉄は、以降、リゾート開発に向かい、リゾート特急を全線に展開することとなる。その走りとして、京都ー橿原神宮間に座席指定特急を登場させた。


この日鉄朗から、徹路に電話が有った。


『おめでとう御座います、徹路さん、今日から、奈良線に大型車両が入線したという知らせを聞きました。』
『有り難う。鉄朗さんこそ、阪神優勝おめでとう御座います』
『有り難う御座います。ご存知だったんですね』
『うちなんかより、大阪の町中はタイガースの優勝で持ちっきりですよ』
『有り難う』
『イヤー、今年はめでたい事が続いた年でしたね』
『有り難う御座います。徹路さん、お忙しい最中に』
『いや新幹線になんか負けないように、うちも頑張りますよ、』
『そうですね、お互いいい年になったんだから頑張りましょう』
『それじゃ』


そして10月10日あの東京オリンピックが開幕した。


<続く>
[2008/01/17 22:06] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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