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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第25話  

第25話 伊勢湾台風襲来と宿願の名古屋線改軌完成。


その年の10月14日、2年にわたって続いている鍋底景気を突き破る様に世界一の東京タワーが完成した。


この年の暮れも押し詰まった12月長野線古市ー富田林間の複線化工事が完成した。
そして、関西にもモータリゼーションの到来を予感させる阪奈道路が,25日に全通した。
それまで、阪奈間のアクセスをほぼ独占してきた近鉄に、モータリゼーションの波がひしひしと迫ってきていた。


翌1959年(昭和34年)2月1日、待ちに待った、難波線の特許が、阪神西大阪線の延伸特許と共に降りた。


近鉄社内は沸きに沸いた、市営モンロー主義の壁を打ち破りやっとミナミの中心部ナンバに乗り入れが敵うのである。


徹路はこの知らせを受けとり、早速鉄朗に電話をかけた。


『西宮さん、やっと特許が降りましたよ』
『私も今しがた知らせを受け取りましたよ徹路さん』
『鉄朗さん、イヤ、ほんとにおめでとう、良かったですね』
『徹路さんこそ、おめでとう御座います。』
『有り難う御座います。』
『又2人で力を合わせて頑張りましょう』
『そうですね、お互い頑張りましょう…』


11年後開催に向けて正式に立候補が決まった”大阪万国博覧会”のアクセス鉄道として、大阪市だけでは地下鉄網が建設困難と判断され市側も渋々譲歩、平行する千日前線や堺筋線、北大阪急行線、等と一緒に認可されたのであった。


徹路は、早速詳細設計に取りかかるため、土木部の中に、難波線建設本部を設け、詳細設計に取りかかった。


更に、同年4月名阪間輸送力増強の一端として、大阪線 名張ー伊勢中川間41.7Kmの複線化工事が着工した。


4月16日に現平成天皇当時の皇太子様と皇太子妃美智子様がご成婚された。世の中は祝賀気分で浮かれ消費も回復し2年間続いた鍋底景気から脱却し、再び高度成長の線路を走り出した年でもあった。


この年名古屋線の改修工事は着々と進行し、9月19日には揖斐・長良川鉄橋が完成。
そして9月26日(土)に木曽川橋梁が完成しこの区間の複線化工事が完成し同日から供用を開始したその日に伊勢湾台風が襲来した。


超大型台風は、紀伊半島を縦断伊勢湾沿いを北上し、三重県、愛知県を直撃、近鉄名古屋線は、全線に渡って被災、道床や電気設備がいたるところで流失や水没にあい、ずたずたにされてしまった。


特に供用を始めたばかりの木曽川橋梁の東側が弥富を挟んで伏屋の当たりまで、完全に水没してしまった。


翌日徹路は社長と共に現地に飛び、全線を視察、現地に災害復旧対策本部を設置、昼夜兼行で災害復旧工事の陣頭指揮当たった。


4日後の30日(水)には名古屋から市内の伏屋迄復旧、さらに翌日10月1日(木)には桑名ー伊勢中川間が復旧、15日(木)には伏屋ー蟹江間が復旧した。最後に残った蟹江ー桑名間は尤も被害が大きく水が引くまで2週間近く掛かり手の付けられない状態が続いた。


この間本社では呼び戻された徹路を交えて役員会が開かれ、社長佐治一徹の英断で急遽、来年からの予定であった、標準軌への改軌事業を前倒しして実施することと成った。
『これ以上電車を止めるな、一刻も早く改軌事業を完成させ、お客様の信頼に答えろ』
と言う社長の一喝で被災から約一ヶ月後の10月19日(木)水没を免れた、桑名以西から工事が再開され8日後の27日(金)に最後に残った弥富周辺が完工し、全線復旧、同時に長年の宿願であった名古屋線全線標準軌への改軌事業も達成された。


この時の工事の様子は近鉄社内で語りぐさと成った。


全線約80km当時はロングレール等無く25mのレール、これを枕木に犬釘で止める工法が殆ど、大ざっぱに計算しても単線分で80000m÷25m×2本=6400本 一部江戸橋ー津新町間約4㎞は単線区間として残っていたが、伊勢若松ー鈴鹿市間約4㎞も同時に改軌したので全線複線と同じ、6400本×2≒13000本待避線などの引き込み線や分岐器を考えるとこれぐらいの数の線路を移動したことになる。


翌年の工事着工予定に向け予め枕木を交換してあった区間もあり、片側の線路だけを移動するだけで済んだ区間もかなり有った、いくら伝統的に改軌工事に慣れた近鉄とは言え、現在のように専用の重機も輸入されていない時代、工夫達は16時間ぶっ通しで働き数時間の仮眠を取っただけで、それこそ夜を日に継いでの突貫工事を行ってくれた。


夜は、当時普及しだした、水銀灯と、昔からの白熱電球をズラーと並べて、煌々とした照明の下、何百人もの工夫達が一列に並んでレールを担ぎ移動し、一斉に犬釘を打つ様は壮観であった。そのおかげで1日約10㎞のハイペースで9日間で完成させることが出来た。この間、徹路は毎日数時間の仮眠だけで四日市に設置した災害対策本部と現場を往復し、給食のおにぎりを配って、工夫達を激励して回りながら、詳しい進捗状況を逐一本社に報告していた。


年も押し迫った、12月12日2代目ビスタカーの投入に合わせて、名阪直通特急の運行が開始された。これで中川で乗り換える事無く、座ったままで名古屋まで行けるようになり、私鉄による日本初の長距離大都市間連絡列車が誕生した。



<続く>

[2008/01/13 21:20] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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