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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第21話 

第21話 初めての大工事


名古屋線桑名での複線化工事が完成したこの頃、徹路は重要な2つの建設工事計画に取りかかっていた。


一つは、名古屋線における当時の近鉄四日市駅(現JR四日市駅)から名古屋方面に向かってすぐの”善光寺カーブ”解消の為の新線建設計画。
もう一つは、上本町ー布施間の一部高架区間を含む複々線化工事計画であった。


共に、名阪間の輸送力増強には欠かせない事業であった。


名古屋線の善光寺カーブは、前身の伊勢電気鉄道が当初四日市から伊勢を目指していた名残で、四日市から何とか名古屋を目指そうと当時の三重鉄道と四日市鉄道の路線を一部買収し762mmの狭軌を1067mmの国鉄と同じ軌間に改軌しこの路線を、無理矢理伊勢に向かう本線に接続したために生じた急カーブである。


複線化はされていたものの、上り下りの軌道間隔が十分にとれず、おまけに100Rの急カーブであるため、20m級の大型車両の導入を阻んでいた。
このため、近鉄は将来の標準軌への改軌も念頭に、国鉄四日市駅乗り入れを諦め河原町ー海産道間に新線を引き路線短縮と善光寺カーブの解消を図ることにした。


上本町ー布施間は1924年(大正13年)10月31日の布施(当時の足代)ー八尾間部分開業以来、奈良線と共用してきたため、布施ー上本町間は当時600V電化区間であった奈良線に乗り入れる形となり、1500vで電化されていた大阪線の車両は50km/hの速度制限が課されており、この区間の輸送力増強の足かせとなっていた。


そこでこの区間に新たに大阪線を1500v電化で増線、複々線化、奈良線と完全に分離し、輸送力の増強を計る事業計画であった。


一連の名古屋線改良工事と同じく、供に戦前からの懸案で、戦争により計画が中断していたが用地の確保は終わっていた。


片や、短いと言えども全くの新線建設、片や運行中の路線に接する形での高架橋建設工事と、共に大工事であった。



<続く>
[2008/01/05 22:59] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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