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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第15話  

第15話 終戦と復興


終戦間近の1945年(昭和20年)7月24日名古屋線の揖斐・長良川橋梁が艦載機による急降下爆撃で被爆不通となった。


徹路は早速同現場に派遣され、対策を検討、国鉄・関西本線の鉄橋を利用させて貰うことを鉄道省に提案・申請、即日工事にとり掛かった。この時も旧伊勢線の遊休資材が役にたった。


突貫工事で、連絡線を建設、国鉄関西本線の鉄橋に接続、同時に、同橋梁に架線を付設、電化した。


資材難のおり、復旧工事と言えども、貴重な、鉄(線路)や、銅線を使用する許可が下りたのは、近鉄名古屋線が重要な路線であったからである。


この事は地図を見れば一目瞭然、四日市ー津間は、併走する国鉄伊勢線(伊勢鉄道)が1973年(昭和48年)に開通するまで近鉄が最短ルートで結んでいた。さらに1959年(昭和34年)の伊勢湾台風襲来以前は現在と違って国鉄と同じ軌間1067mmの狭軌。四日市ー津間の重要な物資輸送路線であったからであろう。


この頃になると、徹路は独身寮に帰ることもなく、本社技術部に24時間態勢で、張り付いて、空襲の被害に備えていた。



同年8月15日、天皇陛下の玉音放送で永い戦争に終止符が打たれた。


敵襲は無くなったものの、近鉄でもかろうじて全線で電車の運行が行われていただけで、停電で電車が急に止まる事などしょっちゅう、大阪、名古屋近郊の駅舎はかろうじて外観を保っているだけ、窓ガラス等、空襲の爆風と、戦後の盗難で殆ど無い状態。走っている電車も、勿論窓ガラスが満足にはまっていない状態、それでも、闇物資を担いだ乗客達で満員の状態だった。


戦後も、徹路の多忙は続いた。


終戦直後の極端な物資不足で、銅線で出来た架線や電線、線路を枕木に止めている犬釘や、ひどいときは枕木まで盗難に会う事件が多発していた。


盗難は深刻な問題で、始発電車が予定通り発車できないこともしばしば発生していた。


その為に本社の技術本部や事業部本部の職員が駆り出され、全員が交代で毎晩、2人一組となり、カンテラ片手に沿線の警戒に当たっていた。


そんな中、空襲で壊れたままになっていた揖斐長良川鉄橋の復旧工事現場に再び出張、今度は所長として同橋梁の修復工事の指揮を執ることとなった。



この年の12月、後に阪神電鉄の社長そして徹路の終生の友となる、西宮鉄朗(にしみやてつろう)が阪神電気鉄道に入社した。


<続く>
[2007/12/24 16:57] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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