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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第14話  

第14話 叔母奈賀子の死


その後、鼓が浦駅での複線化工事現場での活躍をへて、翌年4月からはアベノの本社技術部での勤務となった。毎日の通勤は楽では無かったが、実家から上市駅までは製材所に向かうトラックに便乗し、帰りも同じトラックに乗せて貰った。仕事が遅くなるときは、宿直室で仮眠を取った。


部内で徹路の存在が重要になるにつれ、上市からの通勤ではどうしようも無くなり。若江岩田近くの独身寮に入った。
1944年(昭和19年)6月1日軍部指導の戦時体制下、関西急行鉄道と南海鉄道が合併し近畿日本鉄道となった。


この年の8月グァム島が陥落し、10月レイテ沖海戦で海軍の主力艦隊が大敗し太平洋上での制海権・制空権を完全に米軍に明け渡した形となり勝敗は事実上決した形となった。
そしてグァム島飛行場の完成とB29の本格運用開始で、それまでのB17主力の中国大陸からの爆撃に代わりB29長距離爆撃機による本土空襲が日本全土を襲うようになってきた。
12月には名古屋が翌年1945年(昭和20年)1月には大阪が初空襲を受ける事となる。


この間、資材難も益々切迫し、併走する関西本線の奈良ー王子間は8月に単線化し線路を供出、近鉄も翌年2月には南大阪線の尺度ー樫原神宮間の線路を供出させられ、この間は単線運転区間と成ってしまった。


そして徹路にとって運命の3月10日を迎えるこの日未明東京大空襲を受け、叔母奈賀子の住む、浅草橋付近も空襲に遭い、折からの強風にあおられ、瞬く間に日は広がり、消失家屋26万強、死者8万人弱負傷者11万人を出す大惨事となった。この日奈賀子は夫の帰りを待っていた、夕刻夫から

『遅くなるので先に寝ておきなさい。』

と電話があり、1人で床についていた。


前年の1944年(昭和19年)11月に初空襲を受け、日頃夫から1人で疎開するようにと勧められていたが、

『1人で疎開するのはイヤ、私は此処で毎日貴方の帰りを待つの』

と言って疎開を断っていた。


そんな叔母を悲劇は襲った。火は翌日になっても収まらず、翌日夕刻夫春木が、帰宅したときには、辺り一面焼け野原で火がまだくすぶっていたと後になって聞かされた。
教え子祐子は幼子を抱え、祖父の実家がある、長野の上田に疎開していたと聞いたが、その後消息が無くなった。


<続く>
[2007/12/23 22:05] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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