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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第7話  

<第7話 鉄道連隊入隊>


1940年4月大学4年になった徹路は、斉藤教授に呼ばれた。

『布施君、君はこの先将来どうする積もりかね?』
突然の質問だったので、徹路は驚いた。


『…はい、今は4年生になったばかりですし…』
『そうか、まだ考えてなかったか。』


徹路の頭の中では、子供の頃の吉野鉄道の建設工事の様がまぶたに焼き付いていた。


『…はあ』
『世の中はまだ不景気だ、大学に残ってはどうだ。』
『…はあ』
『君は、我が研究室始まって以来、いや我が学部始まって以来の秀才だ。』
『恐らく来年の卒業式は君が総代を務めるだろう』
『研究室に残って見てはどうだ?、そしてゆくゆくはワシの後を継いでくれないか。』
『いやそんな…、どうも有り難う御座います。』


その後も、ことある毎に教授に呼ばれ、残るようにと勧められた。
翌年1月徹路は斉藤教授のお宅に年賀に訪問した。


『良く来てくれた、さあ上がりたまえ。』
部屋に案内された。


『先生、新年おめでとう御座います、本年もヨロシクお願いいたします。』
『堅苦しい挨拶はいい、まあゆっくりしたまえ』

雑談のあと、徹路は切り出した。


『じつは、将来のことで先生にお願いがありまして』
『なんだ、研究室に残る決心がついたか?』
『いえ、実は…、鉄道連隊に入ろうかと考えております。』
『鉄道連隊?…津田沼にあるあの鉄道連隊か?』
『はい』
『鉄道連隊なら、友人もおるしよく知っておるが、どうして又?』
『はい、子供の頃、吉野鉄道の建設工事をみて、その印象が頭から離れません。私も鉄道建設に携わって見たいと考えております。』
『そうか、大阪電気軌道なら知り合いもおる。』

『いいえ、そうでなくて、海外に出て、未開の地に自分のこの手で鉄道を引いてみたいのです。』
『それで、先生が、鉄道連隊にいらっしゃるご友人のことをよくお話になっていたのを思い出しまして…、ご紹介いただけないかと。』
『満鉄では駄目なのか?満鉄なら沢山友人がおるのだが。』
『…』
『…判った、余り気乗りはしないが、一度聞いてみてやろう。』
『有り難う御座います、宜しくお願いします。』


それから、一ヶ月ほど経った2月のはじめ。
徹路は教授室に呼ばれた。


『失礼します。』
『ああ、布施君か。』
『まあ、かけたまえ。』
『早速だが、津田沼の友人から返事が来た。』
『はい』
『喜んで君を迎えるそうだ。取りあえず少尉ということらしい。それで良いか?』
『有り難う御座います。』
『卒業式が済んだら、これを持って連隊に出頭しなさい。』

封筒に入った、入営提出書類と津守中佐の手紙が入っていた。

帰って、叔母の奈賀子に入隊が内定したことを伝えた。


『おばさん、卒業したら僕軍隊に行くよ』
『テッちゃんたら、又冗談いって。』
『冗談じゃ無いんだよ、本当なんだ』
『え…』


日中戦争は始まっていたが、太平洋戦争はまだ始まっておらず、不景気とはいえ就職口が無いわけではなかった。それに恩師の斉藤教授から研究室に残るように誘われていることも奈賀子はよく知っていた。


『テッちゃん、どうして、どうしてあんたが軍隊に行かないといけないの?』


叔母は、目に涙を浮かべながら、必死に徹路に思いとどまるように懇願した。

子供の頃からの思い、軍隊といっても鉄道連隊、しかも恩師の取り計らいで技術将校・少尉としての入隊であることを説明し、何とか叔母を宥め納得させた。


入営の支度は叔母がやってくれた。叔母は近くの西新井厄除け大使でお守りを戴いてきてくれた。


入営の日、叔母と20才になった祐子が浅草橋迄見送りに来てくれた。叔母が、周りの目も気にせず。


『きっと無事に帰ってくるんだよ、死んじゃ駄目だよ。』
といって涙を浮かべながら別れを惜しんだ。祐子はそんな叔母の肩を抱えるようにそばに立っていた。


電車が、ホームを離れて見えなくなるまで、2人はずーと手を振っていた。


<続く>



[2007/12/09 11:46] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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