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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第6話  

<第6話 一高・東大入学>


中学4年の正月、里帰りを許された徹路は奉公にでている妹2人と久しぶりの再会を果たした、妹たちと、父庄一は、進学を勧めてくれた。高等女学校出の母は何も言わなかった。ただ一言『悔いの残らないようにお前の進む道は、お前が決めなさい。』と言って泣いた。
不況の中、仕送りまでしながら安い賃金で、奉公に出ている娘2人を前にして、”高校に進学しなさい”とは言えなかった。


翌年、徹路は叔母の奈賀子を頼って東京に出た。


叔母は父庄一の一番下の妹で、祖父 信好が亡くなった年、営林署の署長の仲立ちで署長の親戚の家に里子に出されていた。その後航空技師と結婚し、浅草橋の近くに住んでいた。36才になった叔母は、子供に恵まれていなかった。夫は3才年上で田無にある軍需工場で設計技師をしていた。


子供のいなかった叔母夫婦は決して裕福ではなかったが、
『テッちゃん』といって、徹路のことをかわいがってくれた。


父庄一も、苦しい中、毎月いくらばかりかの、仕送りを送ってくれていた。


上京したその年、見事”一高”現在の東大に入学した。
徹路は子供の頃からの夢、土木技術者に向け、毎日猛勉強に明け暮れた。
そんな毎日ではあったが、徹路にも恋とは呼べないまでも、胸のときめきを感じさせるような少女との出会いがあった。


叔母の夫、田上春木が上司に頼んでくれて紹介して貰った、家庭教師の教え子 波多祐子であった。高等女学校に入学したばかりの12才だった。
『徹路お兄ちゃん』、と言って懐いてくれた。


20才の成人を迎えた1937年(昭和12年)高校4年間を無事に終え、大学本科に進むことになった。


この年の7月7日に盧溝橋事件に端を発した、日中戦争が始まった、以後1945年8月15日の太平洋戦争終戦まで8年間にも及ぶ軍部主導の永い戦時体制が続く事になった。


殆どの国民は財閥と軍部の世論誘導で
”いまも続く永い不況を克服するには、海外派兵と植民地政策しか解決策はない”
と信じ込まされていた。


高校在学中も、何度か同期生の政治談義に巻き込まれそうになったが、当時の学生にしては珍しく、酒も麻雀もやらなかったため、左右何れの学生運動にも、巻き込まれずに済んだ。


祐子は徹路の親身になった指導のおかげで、高等女学校を卒業し、見事東京女子高等師範学校に入学出来た。そして大学に進学した徹路は、波田さんの心遣いでそのまま祐子の家庭教師を続ける事になった。


その頃になると、
『私、大人になったら、お兄ちゃんのお嫁さんに成りたい』
『お嫁さんにすると約束して』
と徹路を困らせたりもした。



<つづく>



[2007/12/06 21:11] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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