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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第5話  

<第5話 徹路の故郷(その4)思春期>


吉野中学に進学した徹路の評判は日に日に上がっていった。田舎の中学とはいえ、徹路の優秀さは群を抜いていた。


翌年1930年(昭和5年)前年10月ニューヨークのウォール街に端を発した世界大恐慌の荒らしが日本にも飛び火し、昭和の大恐慌が発生、深刻な不況と成った。
そんな中、翌年1931年(昭和6年)満州事変が勃発、国民世論は一気にアジア進出、植民地主義に傾いていった。


不況の嵐はまだ吹き荒れており、徹路の学校を続けさせるため、長女幸子が、翌年には次女秋美が、桜井の材木商の大店に住み込み奉公に上がった。東北では、身売り、一家心中など多くの惨劇が起こっていた時期である。


中学4年のある日徹路は校長に呼ばれた。


『徹路、お前中学出たら、どないするつもりで居るんや?』
『ん…、でけたら、高校に進みたいとおもとる。』『けんど…うち、ビンボーやし、妹2人とも、ワイのために、桜井に奉公にあがっとるんや、もうこれ以上迷惑かけられへんしな…』
『よっしゃ、判った、ワシに任せとけ、おとうにはワシから話したる。』『お前は、うちの中学始まって以来の秀才や!このまま終わってはもったいない』『お前にその気あるんやったら、東京の高校に行かすように、ワシからおとうに言うたる。』


徹路は悩んだ、”妹2人を犠牲にしてまで、学業を続けるべきか、
世の中は、深刻な不況、大学を出ても就職口がない状況が今も続いていると言うのに。”


この頃には、叔父の子供、つまり徹路の従兄弟は7人になっていた。
相変わらず貧しかったが、7人の従兄弟達が、味方になってくれた。


しかし、とても叔父の家では勉強などする場が無く、見かねた校長が、特別に、放課後、用務員室に残って勉強することを許してくれた。


<続く>

[2007/12/04 20:00] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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