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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第4話  

<第4話 徹路の故郷(その3) 徹路の幼少期 後編>


高等小学校の頃は、あまりの辛さに、10㎞ほど離れた実家に何度か逃げ帰ったこともあった。


その度に父は
『折角預かってくれた清に済まんことしよって、そんなこって、中学に進めるか、中学出るまではお前はよその子じゃ、それまで家の敷居またいだらアカン』
と怒鳴って、母屋に入れてはくれず、仕方なく納屋でワラにくるまって一晩を過ごし、翌朝母が作ってくれたおにぎりを持って叔父の家に帰ったものであった。


そんな幼年期であったが、徹路には毎日の苦しさを忘れられる、楽しみがあった。
それは、今の大和上市駅付近で行われていた吉野電気軌道の鉄道工事を見に行くことであった。


吉野川に掛かる吉野川橋梁はようやくその勇姿を現しつつあった。、その前後の取り付け部分では土砂を満載したトロッコを工夫が押す光景を眺めることも出来た。


高等小学校入学から1年が過ぎようとした徹路11才1928年(昭和3年)3月25日に六田ー吉野間が開業、全通した。開業以来吉野駅までの全通に16年も要した最大の理由は、吉野川越えの吉野川橋梁の建設の困難さであった。


当時は上流にダムも出来ておらず、筏流しが出来るほど水量が豊富で、渇水期である冬場しか工事が出来なかった。それに、木材輸送は水量豊富な吉野川を使えば、全通前の終点六田駅まで搬出することが出来た。運送費の掛かる鉄道輸送はそこからで十分であった。


徹路が叔父の家に下宿して2年目の昭和3年に新線は開通した。


真新しい鉄路を、日に何度か木造のかわいらしい電車が一両で走っていた。
徹路にはむしろ、木材を満載した国鉄の貨車を、ボンネット型の可愛い機関車がひいていくのを見るのが楽しみであった。


徹路は辛さを忘れて、じーっと列車が通り過ぎていくのを眺めていた。



<つづく>




[2007/12/03 22:33] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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