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"阪神・近鉄友情物語" 【小説】69年間待ち続けた男 第一話 

この物語は、全ての阪神電鉄社員、全ての近鉄社員に捧げるオマージュであり、来るべき2009年の阪神なんば線開業に対する心よりの祝辞として捧げます。

この物語は、事実にヒントを得ただけの全くのフィクションです。実在する団体、個人とは全く関係がありません。
強いて言うならば布施徹路(フセテツジ)は全ての近鉄社員、西宮鉄(ニシミヤテツロウ)は全ての阪神社員を象徴していると言っても良いでしょう。 

2007年11月デジタヌ


第1話 <2009年3月のとある日>


早朝から近鉄難波駅には大勢の人が押し寄せていた、その中にこの物語の主人公 布施徹路 92才が立っていた、彼は胸に有限会社鉄路と刺繍の入った、のりの利いた真新しい作業衣にピカピカの安全靴、頭には真新しいヘルメットと言った出で立ちでたたずんでいた。
一般客には、工事関係者の1人にしか移らなかったであろう。


05;07着尼崎発瓢箪山行き阪神の乗り入れ一番列車が1番ホームに今、正に入線しようとしていた。
先頭列車のヘッドライトの光が近づく中、大阪市音楽団の奏でる”六甲下ろし”に引き寄せられるように、祝阪神ナンバ線開業の横断幕が張られた1番線に同じく祝ナンバ線開業のヘッドマークを付けた一番列車が滑るように入線してきた。
徹路は思わず、目頭が熱くなるのを覚え、ポケットの白いハンカチにソット手を伸ばした。


思い起こせば今から半世紀以上前の1946年、当時戦争が終わって間もない頃、29才の新進気鋭の技術者だった徹路は近鉄佐治社長の特命で、誕生したばかりの”大阪高速鉄道”に出向、同じように阪神電鉄から出向してきた6才年下の西宮鉄と、一ヶ月間寝食を共にし、阪神・近鉄連絡鉄道の特許申請資料を作成したのだった。


あれから、もう69年が立っていた。


生涯を通じての親友となった鉄は先年1989年西大阪高速鉄道(阪神なんば線の保有会社)の設立を知らないまま癌でなくなった、享年66才若すぎる死であった。
彼は生前徹路に会う度毎に、詫びるのであった。


『徹路さん申し訳ない、本当に済まない』
『鉄朗さん、もういいよ…、本当に良い夢を見させて貰ったと思って感謝しているよ。』
『…』


祝賀列車がホームに着くと、阪神関係者がホームに降り立ち、近鉄の国分社長と阪神の長田社長ががっしりと握手、報道陣のフラッシュに答えた。


徹路は一番列車から降り立った招待客の中に、若き日の西宮鉄朗ソックリの人物を発見した。
徹路は、思い切って声をかけてみた。


『失礼ですが、西宮さんでいらっしゃいますか?』


若者は見慣れぬ老人から声をかけられ一瞬たじろいだが


『ハイ、そうですが、どちら様でしょうか?』
『失礼しました、布施徹路と申します。』
『…ハイ、もしかして、祖父のお友達の?』
『そうです』
『生前祖父が布施さんの事をよく話していました』
『…』
『祖父は無くなる当日まで、「布施さんには本当に済まないことをした、俺が病気になど成らなかったら、きっと布施さんとの約束を果たしたのに、後10年で良いから長生きしたかった。」と申しておりました。』
『…』
『私は、社に戻って会議に出ないといけないので、これで、失礼します。』


若者は報道陣や見物客の間を縫うように、去っていった。


<続く>
[2007/11/19 19:13] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

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