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【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第47話  

第47話 父庄一の死


徹路が病院を訪れると、

『徹路、ワシはコンナ、牢屋みたいな所は嫌だ、この通りぴんぴんしているし、早くコンナ所から連れ出してくれ』

と言って、徹路を困らせた。
医者からは、”永くて1年、もう手遅れで手術をしてもそう永くは生きられない”と通告された。


これが永い闘病生活の始まりとなった。

残された、治療は、抗ガン剤治療しかなく、激しい吐き気や痛みと戦いながら、6ッケ月間入院していたが、小康状態になったので、家に帰っても良いことになり、妹幸子が毎日通う条件で家に帰った。


そして一月後、再度風呂場で倒れ、病院に運ばれたが、2度と起き上がることが出来亡かった。


そして、父庄一から命を引き継ぐように、11月1日次女未來が2人目の孫健治を出産した、病床で庄一は曾孫健治の誕生を喜び、11月半ばに帰らぬ人となった。二ヶ月で88才の誕生日を迎えるはずだった。


父の弔いは、母の時と同じく、吉野の実家から出した。
今度は、娘夫婦にも口止めをし、得意先には一切連絡をしなかった。もう母寿美の時のような騒動は懲り懲りだったからである。


現場は番頭角の、最古参の土屋留三さんに任せてきた。
今度は、混乱もなく、父庄一の葬儀を恙無く終えることが出来た。



この年近鉄バファローズは2度目のリーグ優勝を果たしていた。


翌1981年(昭和56年)12月阪奈道路が無料開放された。
世の中は完全にモータリゼーションの波に飲み込まれていた。


1983年(昭和58年)4月15日東京ディズニーランドがオープンした。
海外旅行ブームで国内観光が不振の中、その後今に至るディズニー神話がこの日始まった。


この年10月、阿部野橋ターミナルビル整備計画と、阿部野橋ー針中野間の連続立体交差事業が始まった。


近鉄に於ける20世紀最後の大事業となったこの工事は、1987年の連続高架完成まで、4年の歳月を要する大工事であった。
そして、恐らくこの工事が都心部に於ける、”場”の終焉の場であった。


現場事務所や場の建物は、2階建てのプレハブに変わっていたが、土工達が、寝泊まりする姿は変わらなかった。


かつての高度成長時代、多くの現場から、場が消えていき、山奥のダム工事か、トンネル工事現場位しか、場は見られなくなってきていたが、どっこい、この現場には生き残った。
しかし、昔のような賑わいは無くなっていた、殆どが、”通いの工夫”に変わってきていたからである。


請負の仕組みも代わり、大手のゼネコン1社が受けるのではなく、JVジョイントベンチャーを組んで請け負うのがアタリマエになってきていた。請負関係は分業化と共に複雑となり、最早、土工達が長期間一つの現場で働ける環境では無くなってきていた。


<続く>
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[2008/02/19 22:17] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第46話  

第46話 近鉄リーグ初優勝


この年、名将西本幸夫監督率いる近鉄バッファローズが念願のリーグ初優勝を勝ち取った。


鉄朗から久しぶりに電話が入った


『徹路さん、おめでとう御座います』
『ハア、何のことですか?』
『パリーグ優勝ですよ!』
『…』
『近鉄が、リーグ優勝したんですよ』
『はあ、そうだったんですか、じゃー僕も祝電をいれておかなくちゃ』
『何だ、ご存知無かったんですか?』
『や、世事に疎いモンで』
『や~、徹路さんらしいな』
『嫌々、お恥ずかしい』
『所で、お仕事の方は如何ですか』
『ハイ、おかげさまで、何だ、かんだと近鉄さんが面倒みてくれて、怖いほど、順調にいってます。』
『そうですか、それは良かったですね、ジャそろそろ内の仕事も…』
『いやいや、なにぶん少ないスタッフ何で、とても阪神さんのお仕事まで…』
『そうですか…、それは残念だな』
『有り難う御座います。』
『それでは』


鉄朗の口からは、ナンバ線の話は出なくなってしまっていた。


12月東名阪自動車道が開通した。


翌1980年(昭和55年)円高で海外旅行ブームに火がつき伊勢・志摩の観光客は、それほどの伸びを示さなくなっていた。
この年、3月阪神高速道路松原線が全線開通した、前年の、東名阪自動車道の全通に続き、名阪間の車での移動が益々便利になってきた。


この月、吉野の父庄一が病に倒れた。体の不調を訴え、病院で精密検査をしたところ、癌に冒されていることが判った。肺ガンであった、酒は飲まなかったが、煙草が好きであった、父は、知らぬ間に癌に冒されていたのだった。


<続く>
[2008/02/16 11:13] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第45話  

第45話 金三、天職を見つける


同年同月の1978年5月成田国際空港が開港した。
日本は益々国際化の波に飲み込まれて行く事になる。


初めは、金三に留守番兼、行程監理要因として、翌日の資材や機材の準備や手配に事務所で待機させていた。


そして、自動車免許を取りたいと言うので、自動車教習所に通わせたりしていた。
自動車免許がとれてからは、現場に引っ張り出し、雑用をさせることにした。


『親方、あんなへたっぴんに運転させて大丈夫ですか?』
『まあ良いじゃないか、最初は誰でもあんなものさ』
『親方がそう言うのなら、良いですけど、帰りの運転はあっしがやりますからね!』
『まかせたよ』

8月ごろには徐々に、現場にも慣れだし、要領もつかめてきたようだった。
だんだん、土工達ともうち解けるようになり、冗談も交わせるように成ってきた。


『親方、あの広島弁の兄ちゃんは?』
『オイオイ、親方はいい加減よしてくれよ』
『ほな、ドナイ呼んだらエエンデッカ?』
『オヤジさんとか、テツジさんとか』
『チャウナ、ヤッパリ親方がエエナ』
『まあ良いけど、それで』
『ランマーが調子わるーて、リースやに替えさせて貰おうとおもて』
『いいよ、ワシがみるよ』
『ホナ、ここに置いときまっせ』
『判った』


毎日6人乗りのピックアップを運転して、現場に向かう金三の姿は生き生きとしているようだった。


翌1979年(昭和54年)3月東大阪生駒電鉄(現在のけいはんな線)、が着工された。
”鉄路”は近鉄の口利きで、指名業者となり、2次業者として、ゼネコンの下で付帯工事を請け負うこととなった。

この頃には、金三もすっかり仕事に慣れ、みんなともうち解け合い。


『センム』
『僕は、専務なんかじゃ有りません』
『まあエエがナ、アンタは何もセンムや、』
『ハ、ハ、ハ、…』等とからかわれながらも、みんなに好かれ頼られる存在になっていた。
徹路のように、小器用で何でも、職人並みにこなせる様な人間ではなかったが、熱心で、実直な態度は好感を持って受け入れられていた。


<続く>
[2008/02/10 23:23] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第44話  

第44話 初孫誕生と金三の決意


この年から翌年にかけては徹路が在職中に手がけた工事が相次いで完成した。


6月に祝賀会が開かれた、布施駅立体交差及び奈良線八戸ノ里までの連続立体交差事業、同じく大阪線の長瀬駅までの連続立体交差事業。


同月橿原線 大和郡山ー平端間の筒井駅周辺立体交差工事。


そしてこの年9月待望の初孫を長女由有紀が出産した。
父親と同じ立派な技術者になるようにと大志(たいし)と名付けられたこの子は4000gのまるまるとした大きな男の子であった。


翌1978年(昭和53年10月には次女未來が長女美里を出産した。


12月には大阪線久宝寺口ー八尾駅間の連続立体交差事業


阪神電鉄も同年6月には大物ー姫島間の連続立体交差事業を完成させていた。
そして翌1979年(昭和54年)3月東大阪線後のけいはんな線の長田ー生駒間が着工された。


徹路の会社 有限会社鉄路は前前年10月から噂を聞き、集まってきたベテラン土工達で細々と開業していた。


開業早々、社長の計らいで、近鉄と異例の直接契約口座が開設でき10月から前出の、大阪線八尾駅周辺高架工事の追加付帯工事を請け負っていた。側溝や排水溝の新設や仮線の撤去工事等であるが。10人程の小さな会社には十分な仕事であった。
徹路も毎日現場に出かけられるので、ご満悦であった。


南大阪線川西駅周辺工事も始まっていたので、仕事は次々入ってきた。
現場工事以外にも、不本意ながらの、コンサルタント業務も大手建設会社から、受けていた。


この仕事は、近鉄の工事関係にのみ絞って受けていたが、徹路は現場に出て、土工達と楽しくやるのが、夢であったし、好きであった。


そんな、コンナで慎ましやかではあるが、順調にスタートした鉄路ではあったが、1978年(昭和53年)5月に、娘未來に付き添われて、婿の金三が突然自宅兼事務所を訪れた。


『お父さん、いや社長。実はお願いがあって参りました。
『お願い、とは何だね、家でも建てる気になったのかい?』
『いえ、じつは…』
娘が口を開いた。
『いえね、実はこの人、急に会社をやめると言いだして』
『そりゃまた、穏やかではないな!』
『そうなのよ、それでお父さんにお願いしたいことが有るからついて行ってくれって言うもんだから』
『それで、この私に何の頼みなんだ』
『ハイ、私を使ってください!』
『いったい急に、何を言い出すんだ、会社をやっているとはいえ、10人ばっかの個人商店だ、俺が死んだらどうなるか判らない店だぞ、近鉄をやめて何で先の判らない俺の所になぞ、近鉄で問題でも起こしていられ無くでもなったのか?』
『イイエ、そう言う訳ではありません』
『なら、何なんだ話してみたまえ』
『はい、私は、部長、いやお父さんの数多くの論文を見て、お父さんに憧れて、近鉄に入社しました。』
『それは、聞いておるが…』
『それで、部長が定年で、身を引かれて、会社をお作りになると言う話を聞いた、時から。ずっと将来は、部長のおそばにと思っていたんです。』
『オイオイ、有り難い話だが、時代劇じゃ有るまいし、そんなことで、…』
『そうなよ、私もこの人に言ったのよ、今時そんな話はとおりゃしないわよって』
『そうだ、娘の言うとおりだ、君は今年主係長になったそうじゃ無いか』
『はいよくご存知で』
『近鉄にはまだまだ、やらなきゃ成らないことが沢山ある、近鉄にいれば、君にもチャンスは回ってくる。』
『ハイ、それは好く承知しております。』
『ならそんな馬鹿なこと考えずにそのまま近鉄に残りなさい。』
『いえ、僕はもう辞表を出してきました。』
『何だと…』
『この通りです、お願いします』
『貴方、なんてことしたのよ!』


娘の大声で、はっと我に返った。


”俺だって、いい話を全部蹴飛ばして、自分のやりたい道を選んだんじゃないか、この男にもそれだけの覚悟があるんでは”


『良いから、頭を上げなさい』


ソファーにかけ直し、じっと金三の顔を見つめ直してみた。
風采の上がらない婿だと,見くびっていたが、よく見ると目の奥に決意のようなものと、夢に立ち向かう男の決意のような物が感じ取れた。
しばらく、考えてから。


『判った、いつからココにこれる?』
『お父さん!』
『良いじゃないか、金三君にも夢を見させてやろうじゃないか』
『有り難う御座います』
『お父さんったら、私もう知りませんからね!』
『まあまあ』


一週間後、引き継ぎを終えた、金三が有限会社鉄路にやってきた。



<続く>
[2008/02/08 22:30] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第43話  

第43話 布施駅立体交差事業完成


同じ1977年(昭和52年)の6月、徹路が最後に手がけた大事業、布施駅周辺の奈良線、大阪線の連続立体交差事業が完成した。


2階がコンコースで大阪線が3階、そして奈良線が4階、共に通過線を持つ巨大ターミナルである。


建設前には、中央2線の通過線を持つ北側4線が奈良線、南側2線が大阪線の広大な平面駅であった。
此処に列車を通過させながら、奈良線の下り側から上層部に上げていく大工事であった。
近年の東京で言えば、赤羽駅や、北千住駅の立体化工事と同じような手法である。勿論この手法も近鉄が先鞭を付けた。


徹路は祝賀会に来賓として招待された。

同じく来賓として、阪神電鉄社長西宮鉄朗の姿が有った。


『布施さん、お久しぶりです。この度はおめでとう御座います。』
『有り難う御座います、また先日は娘の祝いに結構な物を頂戴しまして有り難う御座いました。』
『いえいえ私こそ、娘さんの結婚式に招待されながら、出席出来ずに申し訳ありませんでした。』
『いえいえ、西宮さんはお忙しい体だし、名代の方までご出席いただいて、娘も喜んでおりました。』
『いやとんでもない、それにしてもこれほどの大工事事故もなく無事完工おめでとう御座います。』
『いやいや、私はもう退職した身の上ですから』
『そうでしたね、”鉄路”の案内状拝見しましたよ』
『イヤー、恐縮です』
『好く決心、なさいましたね』
『いや、結局は、土建馬鹿なんですよ』
『そんなこと有りませんよ』
『取引先から聞いていますよ、大学教授の話も含めて、いい話を全てお断りになったそうですね』
『いやいや、お恥ずかしい次第です。』
『それでお仕事は順調なんですか?』
『いやそれが、実は会社を登記しただけでまだ何も始めておりません』
『そうなんですか、でこれから…』
『ハイ、今年の秋口位から、ぼちぼち動き出そうかと。今準備をしている所なんですよ』
『そうですか、動き出したら、是非内の仕事もお願いします。』
『有り難う御座います、ですがまだまだ、当分は近鉄さんにご厄介になるつもりでおります。』
『そうですか、僕が在職中には、必ず難波まで行きますし、その時は、助けてください』
『助けるだなんて、とんでもない。小さな会社ですから孫請けのお手伝い程度しかできませんよ。』
『その時は是非おねがいします、ワハハ…』


徹路は、この時阪神ナンバ線は相当先になりそうだと感じた。


<続く>
[2008/02/06 21:01] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第42話  

第42話 定年と次女未來の結婚


この年の10月実質的な仕事の引き継ぎを終え、残り3ヶ月間は、徹路の好きにして良いことになった。徹路は取引先への挨拶回りと、現在建設中の現場等思い出深い現場を見て回ることを許された。


そして12月この年3月拡張工事が完成した、難波駅構内を駅長の案内で見て回った。
そして、引き揚げ線の終端に来たとき、車止めのその先の壁にソット手を当ててみた。
徹路には、この壁の向こう側で、地下トンネルを掘削している様な錯覚に囚われた。


”俺が在職中には、かなわなかったが、きっと、その内この壁が取り払われて、阪神電車がやってくる、きっと…”。


そして、1月10日退職の日を迎えた。本社に残っている、技術統括部の職員全員が、玄関ロビーを埋め尽くし、花束を持った徹路を送り出してくれた。


最後に、社長が徹路の手を両手でがっしりと握ってくれて、


『布施君、長い間本当にご苦労さん、有り難う』と言って送り出してくれた。
この年の成人の日、次女未來が1人の青年を家に連れてきた。


石部金三という風采の上がらない青年だった。

聞けば、彼は近鉄の土木部に勤めているという、
未來とは同い年で入社6年目になると言う。徹路には全く記憶がなかった。


尤も企画統括部長になって以来、古巣の土木部には足げく出入りしていたとは言え、統括部全体では数百人規模の職員数である、主立った人間以外は一人一人の顔などハッキリ覚えていないのも仕方ないところ。


そう言えば、未來が家で家事手伝いをするように成った頃から、手作りの弁当を届けるようになり、運転免許を取ってからは夜遅くなると、出迎えを予て、車を飛ばして、土木部に差し入れに来ていたことが度々有った。


あるとき、徹路が見あたらず、土木部の部屋に探しに行ったところ製図台に向かっている石部が1人で残っていたらしい、前々から、差し入れに来たときに、話にも加わらずいつも部屋の片隅の製図台に向かって黙々と仕事を続けている石部が気にかかっていたそうで、徹路の居所探しを口実に話をする様に成ったそうだ。


話して判ったのは、彼の方言は酷い訛りで、それを気にして皆の話には加わらないでいたそうだ。


生まれは愛媛県の大三島で実家はミカン農家をやっている事。
島だから鉄道など無く、おまけに本土にも四国にも連絡船で通うしか無かった事。
本州との間に橋を架けたくて、土木をこころざし広島大学の工学部に2浪して入学した事。
広島に下宿しだしてからは、下宿近くで行われていた山陽新幹線の建設工事に興味を持って将来は鉄道建設にたづさわりたいと決めた事。


土木学会誌などによく寄稿している布施徹路と言う名物部長がいる近鉄を知、徹路に憧れて入社試験を受けて入社してきた事。


等を聞き、何となく、その実直さが、徹路とダブり、つき合うように成ったのだという。


徹路から見れば、ハッキリ言って、自分の記憶にとまらなかったというのは、”見かけ通り風采の上がらない奴”では有るようだが、未來が気に入ったのならそれで良いと思い、許しを出した。


その後、結納を交わし、所定の手順を積んで、高木土木部長の介添えで、6月に近鉄グループの奈良ホテルで結婚式を挙げた。


未來は一人暮らしになる父を気遣い、学園前の賃貸マンションに新居を選んだ。


この間、徹路は3月1日付けで有限会社鉄路を旗揚げしていた。
全国各地にいる先輩や後輩から、私のの会社に、是非私の大学にとひっきりなしに誘いが舞い込むのに平行して、会社を設立、案内状を配っていたのだ。


<続く>
[2008/02/04 21:22] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)

【小説】69年間待ち続けた男、在る鉄道マンの半生 第41話  

第41話 徹路の決断


1976年(昭和51年)2月21日徹路最後の大仕事の一つ、南大阪線、針中野ー大和川橋梁間の連続立体交差事業が完成した。


この区間は、残りの針中野ー大阪阿部野橋間の連続立体交差事業でも採用された、工法、営業中の線路の真上の空間で高架工事を行うという全国初の工法で完成させた。


そして3月、先年着工されていた、難波駅構内引き上げ線拡張工事が完成、奈良線での10両運転が可能となった。


この頃、定年まで残り一年を切った、徹路は社長室に呼ばれた。
前々から、言われていた役員昇格への勧誘である。


『どうだね徹路君考えておいてくれたかね』
『ハイ社長』
『…で、同なんだ,役員として残ってくれる決心はついたかね』
『それが、お誘いは誠に有り難く受け止めておりますが…』
『どうした、いつもの徹路君のように良い返事を聞かせてくれないのかね。』
『ハイ。社長、私は、吉野鉄道の建設工事を見て鉄道建設に憧れてこの世界に入りました。』
『それで、』
『ハイ、考えて見れば、私はあの頃のままなのかも知れません。』『どういう事だね』
『あの頃の気持ちを大切にしたいのです。』
『…』
『出来れば、ズーと現場の一技術者でいたい…。と言っても、そうも行きません。』
『アタリマエだ』
『怒らずに聞いてください。』
『判った』
『だから、来年定年に成ったら、小さな土建屋を作りたいと考えているんです。』
『何だと』


『…うーん…』
『そんなに役員はイヤか?』
『別にそう言うわけではありません、企画統括部部長と言うやりがいのある仕事を長年勤めさせていただいて心から感謝いたしておりますし、』
『それなら、これからも役員として、社内に残って近鉄のためにがんばってくれてもいいではないか?』
『お言葉ですが、私は家族からも、”父さんは近鉄と結婚したんだわ”と言われている人間です、近鉄が嫌でやめると言っているのではありません。』
『ならどうしてなんだ』
『もう一度、昔に戻って、土建の一技術屋として、現場で作る楽しみを、味わいたいんです。』
『出来れば、これからも一土建屋として死ぬまで僕の手で作り上げてきた近鉄を守って行きたいと思っているんです。』
『おお君が育てたのか』
『済みません、でもそう言うつもりで頑張ってきたのは事実です。』
『判った、ジャこれからも、近鉄と共に歩んでくれるんだな』
『その覚悟です。』


実のところ、徹路には、大手建設各社から、”是非内の顧問に”と言う話も沢山来ているし、東大阪の私学を初め、多くの大学から、”是非内の土木学科の教授に”と言う誘いも山ほど来ている。


それら全てを断っても、徹路は”現場”に戻りたかった。


<続く>
[2008/02/03 14:28] 鉄道小説 | TB(0) | CM(0)





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